東京高等裁判所 昭和39年(ネ)1195号 判決 1965年10月26日
控訴人(付帯被控訴人) 国
右代表者法務大臣 石井光次郎
右指定代理人検事 河津圭一
同法務事務官 渡辺信
被控訴人(付帯控訴人) 岩見案山子
右訴訟代理人弁護士 岡部勇二
主文
1、原判決を次の通り変更する。
2、控訴人は被控訴人に対し金二七〇万円及びこれに対する昭和三四年六月二九日以降完済迄年五分の割合による金員を支払え。
3、被控訴人のその余の請求を棄却する。
4、被控訴人の付帯控訴を棄却する。
5、訴訟費用は第一、二審を通じ被控訴人控訴人の平分負担とする。
6、本判決は被控訴人勝訴の部分に限り金八〇万円の担保を供するときは仮に執行することができる。
事実
控訴人指定代理人は『原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。被控訴人の付帯控訴並びに新請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。』との判決を求め、被控訴代理人は『本件控訴を棄却する。原判決中被控訴人(付帯控訴人)敗訴の部分を取消す。控訴人(付帯被控訴人)は被控訴人(付帯控訴人)に対し金二二〇〇万円及びこれに対する昭和三四年二月一一日以降完済迄年五分の割合による金員並びに金八〇〇万円に対する昭和三四年二月一一日以降昭和三六年七月二〇日迄の年五分の割合による金員(昭和三六年七月二一日前に遡って年五分の割合による金員を請求する部分は当審で拡張されたものである)を支払え。訴訟費用は第一、二審とも控訴人の負担とする。』との判決及び仮執行の宣言を求めた。
当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠関係は左に付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これをここに引用する。
一、被控訴人の主張。
(1) 被控訴人に対する道路運送法違反被告事件は同法付則第二項によって無罪であり、又右被告事件は同法第四条違反の所云無免許営業犯であって、かかる事案においては自動車そのものが没収の対象物となることはあり得ないし、証拠物として必要であれば、自動車検査証を差押えればそれで十分であるから、自動車自体を差押える必要は毫も存しない。従って、本件バスの押収自体違反である。
(2) 昭和三四年三月頃国際興業株式会社会長小佐野賢治のあっせんによって都内バス業者九社が本件バス九台を合計金三、〇〇〇万円の時価で買取る旨の契約が成立したが、検察官が押収の違法なことを認識せず、あまつさえ還付を拒んだため、右の売買契約は解約されてしまった。
(3) よって被控訴人は控訴人に対し金三、〇〇〇万円とこれに対する違法押収の日たる昭和三三年五月二一日以降の遅延損害金を請求しうる筋合であるが、原審が検察官につき明白に保管責任が発生したと認定した昭和三四年二月一一日を遅延損害金の起算日とし、右の限度迄遅延損害金の請求を拡張する。(原審においては訴状送達の日の翌日たる昭和三六年七月二一日以降の遅延損害金を請求した。)
二、控訴人の主張。
(1) 被控訴人所有の本件バス九台は、被控訴人がこれを道路運送法違反の犯罪行為の用に供したため、同違反被疑事件の証拠品として押収したものであり、従ってそれは法律上没収可能のものであった。そして検察官はこれを刑事訴訟法第一二一条第一項、第二二二条の定めるところによって、被控訴人に保管委託すると共にエンヂンの鍵を被控訴人に仮還付したものであるが、右は本件バスの保管方法として真に相当な処置であって、この場合本件バス保管の責任は全面的に被控訴人に帰し、被控訴人は一面検察官に対する責務として他面所有者としてこれを保管しているものであって、それが差押にかかるものであるということから、その保全が第一次的に検察官の責任であるとして、一方的に自己の保管責任を廃し、その保管を放擲し得べきものではなく、仮にそれによって検察官に対する責任は免れ得るとしても、そのような自己の行為によって事後に生ずる自己所有物件についての損害を検察官に転嫁することは許されない。
昭和三四年二月頃被控訴人から本件バスの保管困難との申出はあったが、これによって検察官が被控訴人から本件バスの保管を現実に引継いだことはなかった。従って本件バスの保管は依然被控訴人にその責めがあったものと言うべく、この場合本件検察官が本件バスの保管を掌握した事実もないのに、被控訴人がその所有物たる本件バスについて一方的に保管を抛擲し、よって生じた損害の責任を検察官に帰しうべきものではない。
(2) 仮に検察官に本件バスの保管責任があったとしても、検察官は所有者に対する保管委託という最適の方法をとったに拘らず、被控訴人から後日思いがけぬ保管困難の申出を受け、前例のない保管施設物色に努力したが、にわかにその目的を達しえなかったものであるから、その保管に過失があったということはできない。
(3) 百歩譲って検察官に本件バスの保管上過失があり、それが本件損害発生の因をなしたとしても、元来右損害の発生は被控訴人の過失のあずかるところが多大であるから、高度の過失相殺がなさるべきである。けだし検察官が被控訴人の利益のため善後措置に努力中、直接本件バスを保管することができなかったことは、別途保管施設の物色方につき、しょうようを受けた被控訴人の千万承知していたところであり、而も本件バスは被控訴人方の直前の道路上に置かれてあって、被控訴人は所有者として直接の利害を有しているものであるから、被控訴人は少くとも検察官が現実に引取るまでの間、自らその保全について必要な手段を講ずべきは当然であるのに、違反摘発公訴維持のため営業ができなくなったこと等により感情的となって右保管措置を投げやりにし、自己の所有である本件バスの損害の発生を防がなかったことは、損害賠償の問題上少くとも債権者の重大な過失であると言わねばならない。
(4) 而して本件バスが検察官の保管責任懈怠により損耗したとしても、これによる原審の損害額の認定は過大である。
被控訴人は当時道路運送法違反容疑で検挙されて処罰されたのであるから、本件バスを営業の用に供することはできなかったものであって、被控訴人にとって本件バスの価値はもっぱらその処分価値に過ぎない。
而してバスは露天保管、保守不良等による損耗のほかに、年月の経過(中古化)により急速にその価格が低落し、昭和三五年二月当時本件バスと同種同年式の中古バスの時価は合計金五六〇万円、昭和三四年八月(本件バスが被控訴人に還付されたとき)当時では合計金六六四万円と推算されるところ、本件バスは食堂車として改装されていたので、右価格で処分しうるにはこれを復元しなければならず、その費用は一台金五万円八台分計金四〇万円(別紙自動車目録(9)民生五三年式は衝突により損傷した車であるからこれについては復元費を除く)を控除すれば、前記露天保管、保守不良による損耗を考慮しない場合の本件バスの昭和三四年八月当時の時価は計金六二四万円と推定される。
他方本件バスは保管不良、露天保管等による損耗があったにせよ、昭和三五年二月当時少くとも計金一六四万五〇〇〇円で処分しえた筈であり、昭和三四年八月にはこれより高く金一九九万八〇〇〇円以上(切上げて金二〇〇万円とする)で処分できた筈であるから、右金額と前記の推定時価金六二四万円との差金四二四万円が露天保管と昭和三四年二月一一日以降の保守不良による損耗と判断される。而して本件バスは被控訴人の購入後その処分時まで終始露天で保管されていたものであって、この間昭和三四年一月頃までは被控訴人の使用人による保守がなされたが、それ以後の一年余は格別の保守なくして露天に保管されていたものである。然し露天保管そのものは本件バスの元来の保管方法であるから、このこと自体に基く損耗は検察官の責任でなく、又保守措置の欠如について検察官の責任が生じ得るのもその一半に止まる。何となれば被控訴人が保管辞退を申出たと言う昭和三四年二月一一日から処分時迄一年余であるが、そのうち検察官が保管すべき期間は同年六月迄の約五ヶ月(裁判所の押収期間を加えても約六ヶ月間)であって、残る半年余は被控訴人自身の保管期間であるからである。尤も本件バスは還付後一時新宿御苑内に保管され、その間盗難はなかったようであるが、それ以上格別の保管措置がとられなかったことや、被控訴人が購入以来露天に保管して来た事実を考慮すると前記金四二四万円の損耗については検察官の保管不良に原因するもの一〇分の五、還付後の保管不良に原因するもの一〇分の四、その他の事由による損耗が一〇分の一と判断し、検察官の押収中の損耗は金額にして金二一二万円となる。
ところが別紙自動車目録中(6)及び(7)の車については、被控訴人はこれを時価以上の計金二五〇万〇三六〇円で購入先の東京日野ヂーゼル販売株式会社に引取って貰っているので、右二台については被控訴人は結局損害がなかったことになるので、この二台分の計算を除外すると被控訴人の損害は金一一五万一〇〇〇円となるが、さきに主張した過失相殺により控訴人の負担すべき金額は更に減額されて然るべきである。
三、証拠関係≪省略≫
理由
一、当裁判所は控訴人の賠償責任の有無について原審と同様に、検察官の本件バスの押収及びその継続それ自体は違法でなく、唯その保管方法が適切を欠いたので、これによる被控訴人の損害につき、控訴人は国家賠償法により責任を負うと判断するものであって、その理由は原判決理由の説示する通りであるから、これ(原判決理由第一ないし第三項)をここに引用する。但し原判決理由一〇枚目表五行目『昭和三四年一月頃にはこれを批難する新聞記事があらわれるようになっ』たとあるを削り、同一二枚裏一行目『抵当検察官』とあるを『担当検察官』と改める。
なお被控訴人は、被控訴人に対する本件道路運送法違反被告事件は同法附則第二項によって無罪であるから本件バスの押収は違法であるというけれども、≪証拠省略≫によれば、右被告事件については第一、二審共有罪の判決があり、右第二審判決において同法附則第二項により無罪である旨の被控訴人の主張は排斥せられ、これに対し被控訴人より上告を申立てたけれども上告却下となり右第二審の有罪判決が確定したことが明らかであるから、被控訴人の右主張は採用の限りでない。
二、よって検察官のバスの保管不良により被控訴人の受けた損害について審究する。
一般に自動車は使用すると否とを問わず、管理が適切であっても、年月の経過に併い年式の古くなるにつれ、その市場価格は下落するものであって、バスもその例に洩れないことは、当審証人高橋敬三の証言及び原審での被控訴人本人尋問の結果により明らかである。そこで本件バス九台が適切に管理されたものと仮定して、後記の通り被控訴人が還付を受けた後これを他に譲渡した昭和三五年二月当時の価格を推算してみる。先づ当審証人高橋敬三の証言によれば、中古バスの売買事例は極めて少なく、ために持主が需要家を見つけて直接これに売却することは困難なので、本件バス九台の価格を査定するについては、業者に対する売却価格によるのが相当と考えられるところ、同人はバス等の中古自動車の売買を業としているものであるが、同人が実際に買入れた事例から、昭和三五年二月頃の本件バスの価格を推定すると、本件バス九台即ち別紙目録記載の自動車は、
(1)いすず五六年式 金六〇万円
(2)同 金六〇万円
(3)いすず五七年式 金一〇〇万円
(4)いすず五六年式(改良型) 金二〇万円
(5)ふそう五三年式 金四〇万円
(6)日野五七年式 金一一〇万円
(7)同 金一一〇万円
(8)ふそう五三年式 金四〇万円
(9)民生五三年式 金二〇万円
計 金五六〇万円
であることが認められる。尤も右価格のうち五〇万円以下のものは解体車としての値段であり、その他のものはバスとして一般的設備構造のある車としての価格であるが、本件バスは内部を改装して自称食堂車として運行されていたものの、≪証拠省略≫によれば、その改装は各座席に小卓を取付けた程度の僅かなものであるから、この点は特に考慮する要はないものと考えられる。
次に当裁判所が真正に成立したものと認める乙第一九号証自動車価格月報によると、同誌は中古車の価格を調査する専門誌であるが、中古バスの売買事例が極めて少なく、これによる市場価格は不明確なので、中古バスに対する自動車保険の保険対象金額を査定し、その一割増しを一般市場価格と推定しているから、業者の買入れ価格は結局右の保険対象金額に相当するものと考えられ、これによれば別紙自動車目録の、
(1)いすず五六年式 金一三〇万円
(2)同 金一三〇万円
(3)いすず五七年式 金一八〇万円
(4)いすず五六年式 金一五〇万円
(5)ふそう五三年式 金四六万円
(6)日野五七年式 金一八五万円
(7)同 金一八五万円
(8)ふそう五三年式 金四六万円
(9)民生五三年式 金四〇万円(成立に争のない乙第一二号証の一、二によれば、右の車は領置当時既に衝突によると思われる破損があるので、その価格は三分の一を減じた)
計 金一〇九二万円
となる。
ところで前記高橋証言による価格と乙第一九号証による価格とでは右の通り相当開きがあるが、前者はさきに触れた通り、特定の売買事例から業者としての経験知識に基き推算したものであるから、重要な資料たるを否定できないものの、その売買事例が極めて少ないだけに、これのみによることは妥当でなく、現に当審証人斎藤明の証言によると、別紙自動車目録(6)及び(7)の車は、高橋証言による価格よりかなり高額の計金二五〇万〇三六〇円で日野ヂーゼル販売株式会社が買戻しおり、而もその値段は一年にわたる保管不良により損耗している車の値段であることを考慮すると、前記自動車価格月報による価格が実際の売買事例とかけはなれているものとも謂いがたく、結局両者の平均価格によるのが妥当と考えられる。
然るときは昭和三五年二月当時本件バス九台の時価はそれ迄の管理が適切であるとしたら合計金八二六万円であったと推定される。
ところで≪証拠省略≫によれば、本件バス九台中ふそうの一台は昭和三五年一〇月頃、他の八台は同年二月頃夫々処分され、その代金は合計金三七六万五三六〇円であることが判り、前記金八二六万円との差額金四四九万四六四〇円は結局昭和三四年二月一一日以降被控訴人が検察官に対し保管の辞退を申出後における保管の不良による価格の下落と認めるほかなく、他にこれを覆えすに足りる証拠はない。
而して前記の通り検察官は昭和三四年二月一一日から同年六月二九日迄、東京簡易裁判所は同日より同年八月三日まで夫々直接本件バス保管の責に任ずべきものであり、同年八月三日より処分時までは還付をうけた被控訴人においてこれを保管したものであって、検察官の保管が不良であったことは前認定の通りであるところ、これにつぐ東京簡易裁判所の保管方法については具体的にこれを明認できる証拠はないが、口頭弁論の全趣旨によれば従前とさして異らなかったようであり、次に還付後における被控訴人の保管方法を見ると、原審における被控訴人本人尋問の結果の一部によれば、被控訴人が裁判所より還付を受けた当時既に本件バスは相当いたんでいたので、被控訴人はこれをそのまま道路上に放置しておいたため、四谷警察署は道路交通取締上支障があるとして、これを新宿御苑内に移したが、その後も被控訴人は格別の保管措置をとらなかったことが窺われる。そして検察官直接の保管期間が四ヶ月と一八日であるに対し、被控訴人の保管期間が六ヶ月余であったことを考えると、右六ヶ月余に及ぶ被控訴人の保管が適切でなかったことによる損耗を否めないし、東京簡易裁判所の領置中の損耗の点も考えると、控訴人と被控訴人の損害分担の割合は、上来認定の事実に照らし、控訴人は一〇分の六、被控訴人は一〇分の三を相当とするから、結局前記損害額金四四九万四六四〇円の一〇分の六、金二六九万六七八四円、万未満を四捨五入して金二七〇万円について控訴人は賠償責任があるものというべきである。
前記被控訴人本人尋問の結果中には、被控訴人が還付を受けた当時本件バスは全く使いものにならなかった旨の供述があるが、さきに認定した通り日野ヂーゼル販売株式会社は二台を二五〇万円余で買戻しており、右の価格は解体車としての価格でないことは前記斎藤証言によって明らかであるから、右被控訴本人の供述はたやすく措信できない。
次に控訴人は、過失相殺の事由として、被控訴人が保管辞退を申出た後もエンヂンの鍵を返さず、検察官が適切な管理を講じないのを知りながら自宅前道路にあるバスの監視を廃し、更に検察官からの仮還付申入れに応じなかったことを主張するけれども、当時の状況からすれば検察官が被控訴人に鍵を戻させることは容易であった筈であり、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、監視を廃したのは被控訴人の資力が許さなかったからであり、その後本件バスの部品の盗難破損が頻発したので、被控訴人は所轄警察署に届けて善処を求めているのである。又仮還付はこれをうける義務なく、被控訴人がこれを拒否したのは、当時既に本件バスが相当いたんでいたので、責任の不明を来すのをおそれて、これを拒否したものであり、仮還付をうけても検察官の押収の効力が全くとけるものではなく、検察官の命により随時これを提出しなければならないから、これを処分することは到底許されず、そのような状態でこれを適切に管理することは、無資力の被控訴人として不可能であろうと考えられるので、被控訴人の仮還付拒否、管理の抛棄を強ち責めることはできないと謂うべきである。翻えって考えるに、本件バスは本来検察官において善良な管理者の注意を以て保管すべき職責があり、又あらゆる面において被控訴人より有利な検察官においてそれが不可能とは考えられないから、前記被控訴人の行動を以て控訴人の責任を減殺すべき事由となすには足りないと謂うべきである。
次に被控訴人は昭和三四年三月頃小佐野賢治のあっせんによりバス業者九社と被控訴人との間に本件バス九台を金三〇〇〇万円で売買する契約が成立したとし、以て控訴人に金三〇〇〇万円の賠償責任があると主張するけれども、被控訴人の全立証によっても右契約の成立を肯認するに足りず、唯原審及び当審における被控訴人本人尋問の結果によると、当時バス業者九社が本件バスを金三〇〇〇万円で買取る話がでたというのであるが、右供述は当裁判所としてたやすく信用できないから、本件バスが当時三〇〇〇万円の時価を有していたことを前提として本件損害額を算定することも又失当と謂わねばならず、被控訴人の前記主張は理由がない。
又本件バスの押収及びその継続が違法でないことは、冒頭に引用した原判決理由及び本判決理由一で説示する通りであるから前記の保管不良による損害額金二七〇万円に対する年五分の割合による遅延損害金算定の起算日は検察官の保管が終了した昭和三四年六月二九日とするのが相当であり、これより遡って同年二月一一日とする被控訴人の主張は理由がない。
三、以上の次第で控訴人は被控訴人に対し金二七〇万円とこれに対する昭和三四年六月二九日以降完済迄年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、被控訴人の本訴請求は右の範囲において認容すべきであるがその余は棄却すべきであるから、これと異る原判決を右の通り変更することとし、被控訴人の付帯控訴は理由がないのでこれを棄却することとする。
よって民事訴訟法第三八六条第三八四条第九六条第九二条第一九六条の各規定に則り主文の通り判決した。
(裁判長判事 岸上康夫 判事 室伏壮一郎 斎藤次郎)